フランス文学者鹿島茂はキリスト教の関わりから、SMを文明史的に考察している。
「SMは、キリスト教が絶対的なものでなくなったときに生まれた。」
「信者は自己処罰の果てに、絶対的な神、理想のSとまじわる幻想を抱く。」
日本のSMについても
「源氏物語は最初の偉大なSM小説といえます。
光源氏は自分の意思で振る舞っているように見えるのですが、
じつは、大和朝廷の女の子たちが、読者として集団的に「育てあげた」
理想のSにほかならない。」
と語っている。
なるほど「SMと神」というのは興味深いテーマである。
天下のトリックスター中村うさぎはその著書の中で
女性は「罰する神」と「赦す神」を求める、と書いている。
「罰せられること」「赦されること」の中心には、
女性の「欲望」=罪悪感が潜んでいると中村は喝破している。
中村うさぎと同様に、厳格なキリスト教の家族環境で育った
女性人気作家アン・ライスも自分のM嗜好をカミングアウトしている。
(SM小説「眠り姫シリーズ」を別名で上梓している)
M女性にとってS男性は「罰する神」であり「赦す神」なのか。
S男性にとってM女性は「赦す神」なのか。
この「SMと神」の問題は奥が深すぎて私ごときでは手に余るが、
さらにじっくり考えてみたいと思う。
- 2009/05/02(土) 23:27:36|
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